さんま物語 8
2016年9月25日
秋刀魚収『獲』祭
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秋刀魚収獲祭は今年、平成28年で19回目を迎える。
さんまでお祭りをし、女川の町を「さんまの町」にしょうと友人達と語り会ったのがその前年だったから約20年も昔の事になる。
私が今83歳だから60歳になったばかりの時だ。
私よりも10歳以上も若いその友人達も現在も元気で、今年から若い世代に任せたと言いながらもそのお祭りの中核をしっかり握っており、個々の為でなく女川町全体の繁栄を願っての行事になったその基本をぶれない様にしっかり押さえて盛大に行っている。
この秋刀魚収獲祭は現在も女川町の一大イベントになっているが、開催するまでは、そして開催してからもいろいろな事があった。
女川の町の魚は鰹だがその頃にはほとんど水揚げが無く、水産業界も活気を失いかけていた時期だった。
しかし観光客が金華山参拝のために少しづつ増加していた。
その観光客にお土産として提供する魚介類も少なく、女川をアピールする行事は7月に行われる恒例の港祭りだけだった。
このままでは魚の町として石巻、気仙沼にますます差を付けられる。
この女川を変えて行かなくては駄目になる。
そうだ「さんまの祭り」をやろう。
話し合った友人達、実業としてさんまを扱っているのは私だけ、一人は蒲鉾屋、一人は鮪屋、一人は金物屋と銀行の支店長だった。
さんまと関係ない異業種の人達、利害関係のない人達だった。
この人達がさんまの祭りを立ち上げたのだ。
それとこの祭りを盛大に盛り上げて行ったその陰には実行部隊として、紙面には書き切れない程、活躍した大勢の方々がいる。
やはりこれはこの女川をしっかりした堅実な町、日本中に分かって貰えるような町にしようと言う他に誇れる女川の町民性が大きく関わってくる。
女川漁港は、この秋刀魚収獲祭を開催したその年から3.11の大震災が起きたその前年まで、さんま水揚げ高内地日本一を続け、女川の町の繁栄、そして水産業界に多大な貢献をしたものだ。
このお祭りには震災前は5~6万人、今年は3~4万人が押し寄せさんま炭火焼き、つみれ汁、掴み取り等を無償で提供して皆さんに大変喜ばれている。
また、我々水産業界にも青年部があって力強く活躍していた。
その中の5~6人が集まって「次の世代」オーナーズ・セカンズと云うグループを作り、事ある毎に自作の曲を歌って色々なイベントを盛り上げていた。
その中の歌の一つに「さんまDEサンバ」がある。女川の中学校の運動会では決まってその歌が流れ、踊っている。
大震災の後、小学生の体操としても使われているそうだ。また「OECD東北スクール」という中高生のジャパンプレゼンテーションイベントで、フランスのエッフェル塔の下で「さんまDEサンバ」で自分の町を紹介しパリの人々と歌ったり、踊った。
作曲したオーナーセカンズのリーダーは、今回の大震災で犠牲になりグループは解散状態になっているが、この「さんまDEサンバ」の力強い陽気な歌声は 今でも女川の各種行事で高らかに鳴り響き今後の女川の活躍を後押ししている。
文責:ワイケイ水産㈱ 会長 木村 喜一